Wednesday, February 23, 2011

「官邸主導の外交姿勢」は菅違い?


私は海外生活○○年の日本人。日本人というだけで、「おお〜ジャパン!行ってみたい国なのよ!」とよく言われ、いい気分でいた。しかし、最近では、海外における日本の存在がどんどん小さくなっているのが見える。とうとうNo2.の座を中国に逆転された。いつか来ると思っていたが、この時がとうとうやって来た。「おい、日本、がんばらないと、どんどん落ちるよ!」と思っていた時、日本の政治家さんにお会いする機会があったので、釘をさしておいたところだ。

タイミングよく、菅首相が今月6日、都内のホテルで日中関係改善に向けて有識者懇談会の初会合を開き、意見交換をしたそうだ。首相が開いたということで、「官邸主導の外交姿勢」をアピールする狙いがあったそうだが、久しぶりに聞いた「官邸主導」という言葉を疑った。政権交代したばかりのころは、民主党が毎日口にしていた言葉だが、菅首相になって始めて見たのではないかと思う。「官邸主導の外交姿勢」、果たしてその効果はあるのだろうか。私には、その意味さえわからない。

日中国交正常化○○周年の度に日中交流のイベントが行われ、日中関係はその後、改善されるだろうと、国民に期待させる。しかし、その後、中国で反日デモが起こったり、中国漁船衝突事件などがあったりすると、改善されたはずの日中関係は一瞬のうちに崩れ、友好的だった関係が一気に冷え込んでしまう。そんな光景を見るたびに、文化交流やスポーツ交流の継続は本当に必要なのかと考えてしまう。

国民レベルの交流は関係改善に不可欠なステップであることは間違いないが、冷えきった政治の面での日中関係を再構築するためには、政治レベルでの交流のほうが重要であると思う。菅首相が中国の政府要人や中国の有識者と懇談会を開き、歴史問題や中国漁船問題について積極的に意見交換し、お互いの理解を深めたり、溝(ギャップ)を埋めたりするのなら、「官邸主導の外交姿勢」と呼べると思うが、今回の有識者懇談会は菅首相の勘(かん)違いではないだろうか。あれでは、何をアピールしたかったのか、私にはさっぱり理解できない。やっていることは、鳩(はと)カフェと同じレベルに見えてしまう。次の首相には真の外交力を求めたい。

Tuesday, February 1, 2011

気になる朝鮮半島情勢の行方(ゆくえ)


今年1月、アメリカで米中首脳会談が行われ、世界がこの会談に注目した。アメリカに住んでいると、日本のニュースはほとんど見ないが、中国や北朝鮮に関するニュースはよく目にする。日本人として、ちょっと悲しいことであるが、これが新しい時代なのだと思うことにした。

米中首脳会談に関するニュースや新聞記事は数多くある。多くの記事が経済問題について報告しているが、米中首脳の安全保障についての共同声明もあった。この記事では、主に両首脳が北朝鮮のウラン濃縮計画への懸念を表明したことと、朝鮮半島情勢の緊張緩和のために南北関係の進展の重要性を強調したということが書かれていた。

まず、「北朝鮮のウラン濃縮計画に懸念」というのは、世界が北朝鮮の核兵器開発を心配しているということであろう。2003年から米国、北朝鮮、韓国、中国、ロシア、日本で6か国協議を開いて、北朝鮮に核兵器を作るのをやめさせようと交渉しているが、2007年の第6回目の協議の後は、何も進んでいないようだ。その後も北朝鮮の核実験が続いていることがわかっているので、今回の米中首脳会談でも、6か国協議早期再開を求めたというわけだ。

2002年に、ブッシュ前大統領がイラン、イラクとともに、北朝鮮のことを「悪の枢軸」と批判した。その後、イラク問題には「戦争」という形で行動したが、北朝鮮に関してはまだ何も進展がない。オバマ大統領は、北朝鮮に対して戦争はしないと信じているが、今後どうなるのか不安が続く。

また、共同声明にある「朝鮮半島情勢の緊張」というのは、昨年11月23日には北朝鮮が韓国のヨンピョン島を砲撃したことで南北関係が悪化したということであろう。この挑発行為は朝鮮半島だけではなく、世界中の注目を集めたはずだ。その後、韓国は強い怒りを示し、また米韓共同軍事訓練が行われるなど、「もしかしたら朝鮮半島南北戦争が始まるのではないか?!そうなったら、日本はどうなるのだろうか???」という不安を感じたが、ありがたいことに、今はその動きが止まっている。

今日のニュースによると、今月8日(2011年2月8日)に、南北軍事会談が行われて、南北対話が行われるそうだ。つまり、米中首脳会談で共同声明で発表したことが実現するということだ。米中両国からのプレッシャーがあったのか、それとも、北朝鮮が米中両国の挑発を恐れたのか、思ったより早く南北対話が実現するようなので、少し驚いたが、まずは安心だ。南北問題の解決には、やはりそれぞれの説明や意見を直接聞いて話し合うことが重要だろう。南北問題の解決には、他の国を含む6か国協議は必要ない。米国、中国、ロシアが入ってくると、かえって解決に時間がかかり、核問題のように、結局は解決できないまま時間がたってしまう恐れもある。早期解決には、やはり当事者である国が直接対話するのが必要不可欠なステップだと思う。

とにかく、「平和な国、ニッポン」がいつまでその平和を維持できるかは、朝鮮半島情勢の今後によると思う。東アジアで紛争が起こらないことを遠い米国から祈っている。

Wednesday, January 12, 2011

日米共同世論調査結果は正しく報道するべき


2010年12月21日付けのYOMIURI ONLINEで読売新聞社と米ギャラップ社が2010年11月30日から12月6日に行った日米関係についての日米共同世論調査の結果を見た。日本側で日米関係が「悪い」と答えた人が「良い」を初めて上回ったことが大きく報道されていた。この記事によると、沖縄の普天間問題が評価を悪化させたのではないかと言う。確かにそれはそうかもしれないが、不思議に思うことがある。

その他の世論調査の結果には、日本も米国もお互いを「信頼している」、「日米安全保障条約はアジア・太平洋地域の安全に役立っている」と思っているなど、とてもいい結果があるにもかからわず、最初に「日米関係悪い」の部分が強調されているのは、なぜだろうか。どの国のメディアにも政治的なスタンスがあると思うが、このような記事は国民の考えに影響を与える可能性は高いはずだ。

また、普天間の問題も、結局はメディアがこの問題を大きくしたとも考えられる。つまり、世論調査の結果はメディアに大きく影響されているということだ。私は米国に住んでいる日本人だが、米国のニュースや新聞で普天間の問題を見ることは、ほとんどない。たまに見るとすれば、民主党はいつまで続くのか、日本の首相が「また変わった!」という不安ぐらいだ。しかし、その内容が日本に対するイメージに悪く影響するとも思えない。

日米関係には長い歴史があり、信頼関係もできていて、最近首相が変わったくらいで簡単に変わるものでもないと思う。だから、米国側の答えが日本より「良い」のは、私から見れば「当たり前」のことで、そんなことについて世論調査をすることが不思議なくらいだ。せっかく世論調査をするなら、日本も米国も「軍事的脅威」と感じている北朝鮮問題のようなもっと日米両国に本当に重要なことについて調査したほうが、お互いの利益になるのではないだろうか。

Thursday, September 23, 2010

近況

忘れられない思い出


 忘れられない思い出は山のようにある。子供のころのこと、学生時代のこと、働いていた時のこと、初恋のこと、留学のこと、1つだけ選ぶのは簡単ではないので、このブログでは「私が人生で最もがんばった時」について書いてみたい。

 私は高校を卒業した後、日本の大学に行かず、アメリカに英語留学した。日本に帰国して少し働いた後、大阪にある外国語大学に社会人入学した。クラスメートはみんな私より6歳年下の18歳。アメリカでは珍しくないが、当時の日本では、とても珍しいことだった。入学試験は英語と面接だけだった。面接では、「あなたのような年齢の女性は、結婚や出産で卒業する前にやめてしまうけど、あなたは大丈夫?」と聞かれて驚いた。日本ではこのような質問が許されているのだ。「私は何があってもやめません。」と面接官に誓った。両親は私に早く結婚してほしかったので、心配していたが、私の気持ちは変わらなかった。

 海外で日本語教師になるという夢をかなえるために、自分で働いてためたお金で一生懸命勉強すると決めた。私立大学だったので、授業料が高かった。一人暮らしのアパート代や食費も必要だ。しかたなく大学に入っても毎日英語や英会話を教えるアルバイトをしながら、大学に通った。電車の中でたくさん勉強して、夜11時ごろ家に帰って晩ご飯を作って、食べて、夜中まで勉強をした。朝の授業はよく遅刻していたが、絶対休まなかった。

 大学2年生の時、体育の授業でバレーボールをしていて、アキレス腱を切ってしまった。すぐ病院に行って、手術をして、入院することになった。アルバイトには行けなくなったが、保険でお金が出たので助かった。入院している間、タクシーやバスで大学に通った。6月、7月の暑い時だったから大変だったが、病院の先生や看護婦さん達が毎日「いってらっしゃい」、「おかえり」とか言ってくれてうれしかった。朝と夜は病院のおいしいご飯を食べて元気が出た。この病院は私の大阪の家族になった。

大学3年生の時、1年間オーストラリアのメルボルンにある大学に交換留学したが、その1年間がとても楽だったので、10キロ近く太ってしまった。国から奨学金をもらったので、お金にも困らず、日本に帰る前にはオーストラリア一周一人旅を楽しんだ。

留学から帰ってから大学を卒業するまでは、またアルバイトと大学の毎日だった。いつも本当に忙しくて、睡眠不足だったが、教える仕事が楽しかったから、あまり苦痛を感じなかった。

卒業の前に、グッドニュースが届いた。私は英米語学科の全学生1,100人中、一番だったので、卒業式の時、英米語学科卒業生代表で表彰されることになった。社会人入学の私が?毎日アルバイトをしていた私が一番?本当?自分が信じられなかった。すぐ両親に電話して、このグッドニュースを伝えた。「お父さん、お母さん、大学を一番で卒業するの。卒業式に来てくれる?」と聞いてみた。私の大学入学に反対していた父が一言「そうか、よかったな。」と言ってくれた。「うん」涙が止まらなかった。 

 「日本の大学はレジャーランド、大学生は勉強しないで遊んでばかりいる」と思われているが、いつもそうではない。同級生があまり勉強しなかったおかげで、私のような学生が一番になれたのかもしれないが、親に頼らず自分で何かを成し遂げた喜びは大きかった。あの時の気持ちが今の私を支えている。努力すれば報われる。人生、努力あるのみだ。

経歴

学歴
昭和57年4月 ○○県立○○高等学校入学
昭和60年3月 ○○県立○○高等学校卒業
平成3年4月  ○○大学外国語学部英米語学科入学
平成7年3月  ○○大学外国語学部英米語学科卒業
平成10年2月  ○○大学言語学部応用言語学修士課程入学
平成11年7月 ○○大学言語学部応用言語学修士課程卒業
平成12年8月 ○○大学外国語学部第二言語習得研究科博士課程入業
平成15年6月 ○○大学外国語学部第二言語習得研究科博士課程卒業

職歴
平成7年4月  ○○学院入社英語科専任講師
平成9年1月  大学院進学により○○学院退社
平成10年7月 シドニー○○日本語非常勤講師
平成12年7月 米国進学により辞職
平成15年9月 カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係大学院日本語講師
        現在に至る。

以上

資格
日本商工会議所珠算検定2段合格
秘書検定2級合格
実用英語技能検定準1級合格
英語科中学校・高等学校教諭一種免許状取得
日本語教育能力検定試験合格

特技
珠算、書道、コンピューター、タイピング

趣味
フィットネス、旅行、映画鑑賞

私の故郷

 私の故郷は愛知県(あいちけん)にある一宮市(いちのみやし)という所です。大学時代は、大阪に4年間いましたが、それ以外は生まれてからアメリカに留学するまでずっと一宮市に住んでいました。

 一宮市の人口は38万人で、愛知県で3番目に大きな町です。愛知県はあまり知られていませんが、名古屋市(なごやし)は、東京、大阪に次ぐ大都市です。また、愛知県には、車で有名な豊田市(とよたし)があるので、トヨタの本社やトヨタ車の工場がたくさんあります。豊田市は名古屋の南にありますが、一宮市は名古屋の北にあるので、一宮から豊田に行くのはかなり遠いです。しかし、一宮市は愛知県と岐阜県(ぎふけん)の県境にあり、名古屋には電車で15分、岐阜市には10分と、とても便利な所にあります。

 一宮市は、夏はとても暑く、冬はとても寒い所ですが、春と秋は気持ちがいい気候です。この地方は、川が多く、田んぼや畑もたくさんあって、緑の多いきれいな町です。近くに海はありませんが、岐阜県が近いので車だと約1時間で山に行けます。夏はキャンプ、冬はスキーを楽しむことができます。

 一宮は、昔は繊維(せんい)の町として有名だったので、毎年7月に大きな「七夕祭り」があります。「ミス七夕」、「ミス織物」を選んで、町の中心で大きなイベントが行われます。また、最近は喫茶店の町として有名になりました。特に、朝行くとコーヒーを注文するだけで、トースト、ゆでたまご、サラダ、デザートなどがついてくる「一宮モーニング」が大人気です。つまり、350円でフルコースの朝ご飯が食べられるというわけです。私は子供のころから、このモーニングに慣れていますが、東京や大阪から来る友人にモーニングを紹介すると、いつもとても驚かれます。さらに、一宮市の新しい名物として、「モーニング・グランプリ」というコンテストも始まって、おもしろい町になってきました。

 他にも、一宮市の近くには楽しい所がたくさんあって(例、犬山モンキーセンター、明治村、アウトレットパーク、ナゴヤドーム、ポケモンセンターなど)、おいしい名古屋名物も食べられます(例、みそ煮込みうどん、みそカツ、海老フライ、天むす、手羽先)。

 皆さん、ぜひ一宮に遊びに来てください。